メッセージ(スピリチュアル)

おわりに~(思い出す初めての体験とその後の経験)


思い出す初めての体験からその後の経験として、私の経験を書いてきました。この経験は私にとって非常にインパクトのあるもので、今も記憶に鮮明に残っています。時間がたつにつれ忘れそうになることもありましたが、その時には必ずと言っていいほど思い出させる出来事が起こりました。その後、悩んだり苦しんだりした時に霊能者を紹介されたり、占い師の元へ走ったりしましたが、おばあさんの所で経験した出来事と自分の中で沸き起こった感覚が冷静な判断へ導くよう手伝っています。その感覚と言うのは一言に”どきっ”としたり、おへそあたりでもぞもぞと何かが湧いてくるような不思議な感覚です。


その後の経験5


なんとか日常の生活に支障なくなり、愛犬たちとの散歩も楽しめるようになったが、後遺症がとてもひどく時に起きていられないほどになる日もあった。そんな矢先に父が病に倒れる。続いて恭平も病に倒れる。


その後の経験4


退院後、おちょぼ稲荷へ出かけた。もちろん、叔母が言った通りブレスレットを返すためだ。返す前にブレスレットを買った店へ立ち寄り見る影もないご本尊を見てもらった。そりゃ、叫びますよね。

「うそ~~~~~~~~生きていてよかった~~~~~」

と。想定範囲内。。。。。

 

私はブレスレット効果に魅了されていたので、そこで、新しいブレスレットを買った。おもかる石にも再挑戦した。

「一日も早く回復して、ゴルフができるようになりますように」


その後の経験3


おちょぼ稲荷へ一緒に行った叔母が時々私の病室に来てくれていた。叔母は病気が多く入院の経験から不自由さやしてほしいことが何かなどを心得ていて、私の不自由さも気持ちもわかると言い、来るたびに私の体をふいてくれたり励ましてくれたりしてくれていた。そんなある日、叔母に粉々になったご本尊のブレスレットを見せた。叔母は真っ白な顔になり、硬直したまま言葉を失った。

「生きていなかったかもしれない」


その後の経験2


運命と言うのはそうなると最初から決まっているのだろうか。もしそうでなければあの渋滞の場所に戻り違う選択をしてみたい。そうすれば今私は天井を見上げ、動けない自分を悲しむこともなかっただろうに。。。。

と、何度そう思ったか分からない。

 

 


その後の経験1


初めての経験につながっている話なので、その後の経験を話しておこうと思う。

 

公園のおばあさんに出会いおもかる石を経験したがしばらく遠のきその存在を忘れていたころのこと。これは、おばあさんを思い出し再度訪ねるより前の事だ。


思い出す初めての体験4


自分の事以外にいくつかおばあさんにまつわる話を耳にするようになった。

たとえば、高校を留年したが何とか通って一年遅れても卒業してほしいといのが親の頼みであった。「卒業しない」というのがおばあさんの回答だった。いや、おばあさんの会話の相手の回答であった。実際にこの高校生は一年遅れて通い始めた。おばあさんの言う事は当たらなかった、と親が胸をなで降ろしていた一年後、退学した。


思い出す初めての体験3


その事件の後、何かあると私は公園のおばあさんの所へ行くようになった。特にお見合いの話が来た時には私には救いの神のような存在だった。

 

母は私を一日も早く嫁がせようと22歳ぐらいから手あたり次第見合いをさせようとした。私は可能な限り抵抗をしたが母の圧倒的な力にはかなわない。ある日、見合い写真を前に

「お前はさっさと結婚をしろ。見合い相手がいるだけでいいと思え」


思い出す初めての体験2


私は北、母は南、と別れて歩き始めて探したが、確かに草むらがある。道も南北にある。というか、南北にしか道はない。どうしておばあさんは来たこともないこの場所の南北の道を指定したのだろう。草むらがあるのがどうして判ったのだろう。一番の疑問は母と一緒に行け、と言ったことだった。

どれ程進み、草むらを探したか分からないが見つからずにあきらめて戻っていくと母が遠くの方から手を振っている。よく見るとお腹に何かを抱えている。


思い出す初めての体験1


ある山の名前を聞くと思い出すことがある。それは私が20代のころの事。

この日、夕方車で本屋に出かけた。バッグから財布だけを取り出し本屋の中へ。この頃から本屋さんで長居をするのが好きだった。1時間以上過ごしたと思うが車に戻るとバッグがなかった。車上狙いにあったのだ。


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