その後の経験3

おちょぼ稲荷へ一緒に行った叔母が時々私の病室に来てくれていた。叔母は病気が多く入院の経験から不自由さやしてほしいことが何かなどを心得ていて、私の不自由さも気持ちもわかると言い、来るたびに私の体をふいてくれたり励ましてくれたりしてくれていた。そんなある日、叔母に粉々になったご本尊のブレスレットを見せた。叔母は真っ白な顔になり、硬直したまま言葉を失った。

「生きていなかったかもしれない」

と漏らしたが”守ってもらってよかった”などと気の利いた言い回しさえできないほど驚いていたのだと思う。冷静を装い「このブレスレットをおちょぼ稲荷へ返しに行かなくてはいけないから、早く元気になりなさい」と言われたが、ベッドの上からいつ抜け出せるか分からない私にはどちらかと言うと他人事のように思えた。

 

やっと首の固定が外れた時、私は歩けなかった。痛めた首のために下半身の神経がかろうじて通っているようなもので、さらに歩くための筋力が落ちたせいだった。リハビリが始まった時逃げ出そうと思うほど辛くそれでも車いすしか自分を自由にしてくれるものがないと認識した時、恭平、ジュディー、さくらともう一度散歩へ行けるのかという不安を初めて感じた。私が退院した後、親友が話したのだが、寝たままの私はひどい姿で顔さえも変わってしまったほどであった。再起は望めないと感じ、私を車いすに乗せ3匹をつないで散歩に連れていくと覚悟したそうだ。そして、泣いたと・・・・・

 

愛犬たちがこのリハビリを支えたとか支えないとか、そんなことは大した問題ではない。美談をお話しすべきだろうがそんなものはない。希望を見つけたとかそんな前向きな事など全くない。毎日が必死で、体中の痛みに耐え、いつ歩けるか分からない不安を感じ、食べたくない食事を食べさせられ、大好きなゴルフをあきらめろと言われ卑屈になった。私は3匹と会いたいからリハビリを頑張る、などと言うところにはいないのだ。

今あるものがすべて空虚に思えたのもこれが初めてだったように思う。

 

毎日のように3匹の近況を聞いていたが恭平がどうやら元気がないというのだ。散歩にも行きたがらないと言う。それを聞いた時、病院に3匹を連れて来て欲しいと頼んだ。ところが、医師から許可がでないのだ。病室と同じフロア以外には勝手に行ってはいけないのだという。この時初めて頑張らないと外にも出れないと知る。

リハビリが進み、やっと外に出られる日、3匹と対面した。そのあたりは恭平の物語(別居生活)に書いているので良かったらそちらをどうぞ。とにかく恭平は私が戻らないと思い、人生あきらめたおっさんのように丸まっていた。その姿を見て「私しかいない」と思ったのである。今もその姿は目に焼き付いている。それほど、私が知っている恭平とは別の姿であり、それを見たときの衝撃は忘れられない。犬という動物がこれほど深い感情を示すのかということにも驚いた。3匹と一緒にいると楽しいばかりで、入院してからも3匹の楽しい表情しかイメージできていなかった。今振り返ると、それは私が自分の事しか考えられなかったからであろうと思う。恭平には「私があなたを捨てるはずはないでしょ。もう少しだけ待っていて。必ず帰るから」と伝えた。

 

やっと退院した後、真っ先に3匹に挨拶をした。いつものように明るく何事もなかったかのように私を迎えるジュディーとさくらにたくましさを感じたが、今にも泣きそうに私の胸を独占する恭平からは純粋でひたむきな愛情を感じた。

 

話が別の方へ流れつつあるので、元に戻そう。やっと歩ける程度の私はそれからもリハビリに明け暮れた。首のギブスは取れた頃叔母と両親とおちょぼ稲荷へ出かけた。粉々になったご本尊のブレスレットを返すためだった。

 

 

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