竹田圭吾さん

ジャーナリストの竹田圭吾氏が亡くなられた。

がんが見つかり闘病を続けられていて、体力の続く限界までテレビ出演を続けられていた。竹田氏はジャーナリストでありテレビのコメンテーターとしてテレビ画面で見る人もいたと思う。

出演番組の一つのとくダネという朝の番組で「妻に愛していると言ったことがあるか」と街の人に聞くコーナーがあった。竹田さんは

「愛してるって、なかなか言えないですよね。頭のなかでは1日2回ぐらい言ってますけど。じゃあ、今、言ってもいいですか」

と眼鏡を外しカメラを見据え画面の向こう側にいる妻に

「愛している」

と伝えるシーンがあった。自分が生きられる残りを予測できていたと感じるのは私だけではないと思う。

もし私が妻の立場でそれを見たとしたら、喜びだけだったとは言えず、夫のある種の決意に自分自身がどう向き合うのかを問われたように思ったかもしれない。

 

 

竹田氏以外にも昨年は、誰が見ても体調が悪く、病状も良くないと思わせる姿で頑張った方がテレビに表れる俳優さんたちがいた。

私はその方たちの姿を見た時、父や恭平や茨城の叔父の姿を思い出す。体力的な限界と気力の限界は並行していることが多く、体力が落ち体重が減ってきたことを嘆き気力も低下していったのは父も叔父も同じだった。その中で茨城の叔父は周りが限界と思うほど頑張りぬいた一人だと思う。竹田氏を拝見したとき気力が体力の限界を超えるほどのパワーでそれがご自身の生き方となっているように感じた。ご自身でも「これが生き様です」と言ったそうだがそれは心からの言葉なんだろうと思う。その生き方をサポートしていたのが魂なのではないか、とも思う。

 

竹田氏の出演する番組でのコメントに

「僕も自分でがんになって気が付いたのは、見つかってあるいは見つかるのが遅くて病状が進んだらそれで人生が終わりと言うのでは別になくて

ちょっと種類が違う人生がその後続くだけなんですよね。頭カツラで仕事を続けていられますし、襲われて闘うものでは必ずしもなくて 自分の中の一部に住み着いたもの、それをなだめすかしながらなんとか抑えながら生活の質を維持していくというのががんだと言う事を、健診を受けている段階からなんとなくイメージしておくといいのではないかということを僕の経験から学びました。

中略

見つかってしまったら終わりと言う気持ちではなくて、ひょっとして見つかっちゃったら自分は何を優先して生きていこうかなと言う事をなんとなくイメージしておくことも健診の段階から大事なのかなと。」

という言葉があった。

 

 

少し前なら病が進んだときの姿は他人の目を避けたり、その方の家族も見せたくないと考えてしまう。私はそうだった。しかし、ご病気をされたその姿は隠す必要はなく、意志と覚悟を持ってちょっと違う人生を続けていくのであり、それには体力的な変化は避けられないことを教えてくれているように思う。

それと同時に、自分の愛する家族や友人そしてペットたちがもしもこういった状況になった時、その大切な人やペットたちが人生で何を優先して生きていくのかという決意に、どのように寄り添うのか、それを私達はイメージしておくことが大切なのだと言う事を教えてくれたように思う。

 

竹田圭吾さんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

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