2004年5月

5月30日
Tさんにメロンを送って頂いた!!!前はスイカを頂いたけど、こんなに良くしてもらっていいのだろうか? 
でも、このTさんとお話をすると心が和む。もう何年も前から知り合いだったようなそんな気もする。 又、お会いしたい。

5月29日
眠れないので、Profileにおまけを作った。何やってるんだか? と思いながら作成していると、1:00を過ぎた 低反発のマットが待っている
おやすみなさい

5月28日
低反発マットを購入。安物なので少々薄いが今日の夜は楽しみ。ぐっすり眠れるといいな。。。
明日から母が旅行へ行く。元気で遊べるうちはいいのだろうが、それにしても元気だ。

私はチョコ中毒なのだけど、胃の調子が良くないため我慢をしている。
でも、今無性にチョコが食べたい。でもチョコ中毒ってあるのかな?
以前はココア中毒だった。

5月20日
久しぶりにジュディーとさくらを連れて散歩した。が、雨、雨、雨で中止。
ヘルニアで大事を取っている間に、さくらが太りだした。「デブ」とさくらに言うと私の鼻をペロンとなめる。「うるさいわよ」とでも言いたいのだろうか?
ジュディーは相変わらず元気

5月18日
叔父のガンセンターへの転院が決まった。
ガンセンターで先生に、お世話になりたいって伝えたら「判りました」と言ってくれたそうで、転院が決まったことを喜んでいた。が、私がアドバイスしたとおりの言葉を使ったようだ。少しでも叔父の力になれたと思っておこう。

5月14日
あらら・・・叔父がガンセンターへセカンド・オピニオンを受けることになっているのだが、なんともう、転院を決めている。驚いた。よほど今までの病院に不安があったのか、行った事も無いガンセンターが気に入ったのか判らないが、決断が早いような気がする。
しかし、叔父に「セカンド・オピニオンでガンセンターへ行くという事だから、先生に、お世話になりたい、と伝えないと、診察だけで帰されるよ」と言っておいた

5月13日
病院の説明の結果を聞いた。あっさりレントゲンなどの資料を貸してくれるし、紹介状も書いてくれたらしい。そのせいかいつもの明るい叔父に戻った。手術は緊急にしたほうがいいということだが、理由は言わなかったらしい。
それより、セカンド・オピニオンを受けたいと主治医に説明したとき「姪っ子が薦めたので」と姪っ子の私のせいにしたらしい。もう帰ったから詳しい事は判らないが、姪っ子が詳しいことを知っていると、主治医に伝えたらしいが、よほどビクビクしていたのだろう。私のせいにするなら、主治医ともめたりすることも無いと考えたようだ。
が、どんな形であれセカンド・オピニオンを受ける手配は整った

5月12日
昨日までの滞在のお礼を言うために叔父に電話。すると「病院から電話があり金曜日に急遽入院となった」と落ち込んでいる様子。驚いた。何かあるに違いない。とにかく明日、入院の説明のために叔父と叔母と一緒に病院へ行くらしい。ならばその時にセカンド・オピニオンを受けてから入院すると言った方がいいとアドバイスをした。急な手術が必要なのかも聞いてくるようにと伝えて電話を切った

5月11日
叔父と一緒に病院へ。
父が元気だった頃、いつもこうして父に付き添い病院に来ていた。忘れかけていた何かを思い出したような気分になる。
叔父が検査をする間、私はセカンド・オピニオンを受けるための手配をする事にした。診察の窓口で看護婦さんにその旨を説明すると、ポカンと口開いて私の話を聞いている。出てきた言葉は「それ何ですか?」だった。そして上の看護士さんを呼んで来たがこの人も理解が出来なかった。私は何かいけない事を聞いたのかと不安になる。しかし、事情を説明して「資料が借りたい。主治医の紹介状が欲しい」と説明したら理解してもらえたようであった。診察の時に主治医に直接お願いをすればいいという返事が帰ってきたが、不安だったので今から主治医に会いたいとお願いすると、検査に入っているから無理だと断られた。しかし、あとは叔父が自分で主治医に説明をしてセカンド・オピニオンを受けに行けばいいだろう。
一休みして駅まで送ってもらった。
「又来い」と言い残して叔父は去っていった。

5月10日
今日はお店がお休み。叔父は家の壁のペンキ塗りをしている。その後、パチンコへ行ったらしい。元気な証拠と思っておこう。叔父を連れて病院へ行くことになった。
昨日は仕事が忙しく、かなり疲れていたので心配をしたけれど叔父の底力を見た気がする。
叔父を連れて、病院へ行き、セカンド・オピニオンを受けたいという事を病院側に伝えにいく。別に難しいことでは無いが、叔父からすると何をどう進めてよいのか判らないらしいし、医者が機嫌を損ねたらこまると、思っていて、病院に対して不安があってもどうすることも出来なかったらしい。ならば、私が医者だろうと、看護士だろうと、叔父の代わりにお願いをする。それぐらいは私でも手伝える。

5月9日
食欲は余り無い様子。
従兄弟が家に来る予定だったが、突然、3人いる叔父の子供(私の従兄弟)のうち、2番目の従兄弟が突然たずねてきた。再会にお互い喜んだ。そして、直ぐに昨日電話のあった従兄弟が、婚約者と共に家に来た。東京で中華料理店の店長をしていて、家にあるもので、ランチを作ってくれるという。美味しかった。そして、最期に会ったときと比べて随分と、たくましくなったことに気が付く。楽しい会話と、美味しいランチを頂き、最高の時間を過ごした。私は叔父が店があるので、従兄弟を駅まで送迎。帰りに、道に迷った。ナビがあるのに、動かない。
機会も使えなければタダのゴミ・・・・
火曜日と金曜日に検査があり、その後に手術をするかどうかが決まるらしい。
やはり、叔父も大変だが叔母も心配が耐えない。がん患者の身内はやはり大変なことが多い。私の経験が叔母の助けになることを願いたい

5月8日
叔父は毎日仕事をしている。
変わってしまった近所の景色と、変わらない叔父の声。来て良かった。
叔父は以外に新しいものが好きなようで、私よりいいパソコンがある。使っていいかと聞くと、壊れているというので、早速修理。なとか使える。それどころか、画面は大きいし使いやすい。
いつもの掲示板や、覚えのある限りの癌の情報のサイトから、情報を取り出しコピーして叔父に渡した。
偶然、従兄弟から電話。何しに私がここまで来たのかと、従兄弟が質問したらしい。「ぷー太郎で暇だから来たんだよ。1週間程いるからな」と言っている。叔父らしいなと思った。
夕方叔母を連れて、ショッピング。叔母は車に乗れないので、買い物へはお店がお休みの日しか行った事がないらしい。私がいるうちなら、叔母を休みの日以外に買い物へ行ける
そして、明日、用があるのでここに来るという。楽しみだ。何年ぶりかに従兄弟に会える。
叔父とは毎晩、昔の話や、亡くなった祖母の話、そして父の話などをして、眠るのがおそくなってしまう。

5月7日
Tさん宅で1泊お世話になった。昨夜はTさんのご主人の話、私の父の話を涙を流しながら会話した。やはり、同じ病気と闘ったためか、通じるものがあり、流す涙も同情だけではなく、お互いをたたえあうそんなものであったと思う。
叔父の所へTさんが送ってくれた。ドライブには最高の天気で、楽しい会話と、最高の天気に恵まれ、時間が過ぎるのがもったいないと思う。
以外に早く、叔父の自宅に到着。叔父はその時、仕事をしていた。何年ぶりかに見る叔父の仕事をする姿、叔父の店、叔父の自宅。これらは全て私の過ぎ去った時間を忘れさせた。そして、変わっていないこのお店を誇りにすら思える。叔父が守ってきたもの、叔父が愛してきたもの、改めて見た。

5月6日
パソコンの師匠が、水戸を案内してくれた。素晴らしい海はとても印象的で、父が闘病中に海へ行った以来見る海だった。海浜公園、偕楽園も案内してもらって、とても楽しい時間を過ごす事ができた。とてつもなく広い海浜公園を一緒に歩きながら色々な話が出来た。お会いする前から素晴らしい人だと思っていたけれど、本当に素敵な方で、あっという間に時間が過ぎてしまう。偕楽園は初めて行ったけれど、とても綺麗で想像以上だった。心が洗わる。父と一緒に闘病生活を過ごして、気持ちがいつも緊張をしていたし、その緊張は今でもほぐれることはなかったけれど、この日、心が開放されたという気がした。
そして、この日、Tさんの自宅へ。

5月5日
自宅を出て、茨城県水戸市へ。かねてからお会いできたらいい名と思っていた、パソコンの師匠と水戸で会うことになっている。
ゴールデン・ウィークだから、新幹線の切符も取れるはずは無いと、思っていたけれど、窓口でたった今1つだけ席のキャンセルが出た、という。この先の旅の幸運を予言しているかのような出来事であった。

5月3日
迷っていたけれど、結局茨城へ行くことにした。
2人の知り合いに会える。すごく楽しみ。でも、緊張する・・・・
このあたりの名産品を持って行きたいけど、何が名産なの??????と、地元のことを何も知らない自分を発見。これじゃ、自分の生まれ育ったところはどんな所かも説明できないので、市役所で調べようと思ったらお休みだ・・・・・地元の話はしないようにしよう

その他記事は『カテゴリー/flower』 

「父」 参考書籍」 グリーフ・ケア」 情報(cancer)」 他」 

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