2004年6月

6月29日
今日は叔父の誕生日。うどんを送った。電話もした。叔母さんと長話をしていたら、 「こら~!!お前達は何時までも話してるんじゃねぇ!!!」と怒っていた。というより、ひがんでいたか???? あれだけ大声で怒れる元気があるので、ひとまず安心。あの後、叔母さんが叱られていないといいけど。。。

6月26日
歩くのがしんどいほど、腰痛がひどい。 と、言いながらパソコンに向かうので腰痛も治らないのだろうか? でも、歩いても駄目だし、立っていても駄目だし 寝るのが一番か? ちなみに今朝は朝寝坊した

6月25日
腰痛で、座っていると痛くて、立っているといいのは何故だろう? この前、包丁で手を切った。とある人が随分と手際が良いらしく、本来手際の悪い私は 見習って、手際重視で台所に立った。 が、なれないことはするものではない。中指から出血した。おかげで、随分と時間がかかってしまって、一体時間の節約をしたのか、無駄遣いをしたのか、判らない。 これからは自分のペースで行こう。 そう言えば、私の親友とこんな会話があった。 うどんやさんでランチをした日の会話 私「ここ、アルバイト募集しているね。私やってみようかな」 親友「やだ。やめて」 私「何で?」 親友「だって想像が出来ないもの」 私「ど~いう事よ?」 親友「さささっと、運んできてくれから美味しそうだけど、あなたが運んでくると心配になって見てられないと思うよ」 私「・・・・・」 確かにこの親友にはいつも勝てない・・・・・

6月22日
暑い。それに、腰痛が又出てきた。座っていると腰が痛くなる。昨日は腰痛体操をしたけどそれがいけないのだろうか? 朝は割りと調子が良かったのに、どうしてだろう? そういえばさくらのヘルニアも今日はあまり調子が良くないみたい。歩くときに後ろ足がフラフラしてる。全く、犬と飼い主でそろって腰痛なんて情けない。 最近は何をやっても調子が出ない。買い物へ行っても何も買わずに帰ってきたり、せっかく購入した低反発マットも体に合っていなくて、寝苦しいので、又違う低反発マットを買って、結局一つは座布団の代わりに使っている。 それに、気に入っていたミニバラの鉢がひっくり返って、根元から折れていた。可愛いピンクの花を咲かせるのに、来年は期待できそうに無い。 叔父は、まだガンセンターからお呼びがかからない。電話では元気そうだけど「入院してみたら即手術の方がいいな」と言う。「余命1ヶ月と言われても、空きベッドを待つ人もいる」と慰めたら「待っているうちに死んでしまうぞ」と言った。自分が待つことも仕方ないのかと納得したからそう言ったのだと思うけれど、確かに言われてみれば待つ人は辛い。父はガンセンターにはセカンド・オピニオンを受けに行ってその場で入院をさせてくれた。今考えると、ラッキーであったのだと思う。 でも、気になることを言う。前回手術をしたのに、こうして又同じところが癌になるというのは、リンパ節に癌があったのではと、主治医に言われたらしい。リンパ節も念のために一緒にとってしまうという事だけれど、やはり大掛かりな手術になるという事なのだろう。

6月16日
トレット・ペーパーが98円という売り出しがあって、母に頼まれて買いに行った。買えると思うほうが間違っている。並んでいる人だかりをみて、さっさとあきらめた。 開店前から並んでいたらしい。98円なら当たり前なのだろうか?トイレット・ペーパーの定価が400円と仮定すると、40,000円の物が9,800円になったと 同じだと思うけれど、それでも開店前に並んで買うという根性は私には無い。 が、ドッグ・フードだったら考える・・・・・ もしくは、犬のワクチン代だったら並ぶ。 シャネルのバッグだったら、偽者だと疑って店にも行かない

6月 4日
やっぱり心配でならないので、電話した。 叔父が手術が決まって、入院を待っている段階らしい。 詳しいことは今度説明があるらしいので、どのような手術になるかなどは判っていない。 けれど、ガンセンターで良かったという言葉が聞けたことは私も良かった。 でも、夢で「余命6ヶ月」といわれてすごく気になって、ショックを受けていたけれど、 治療が手術になったら安心できると思っていた。 しかし、それはそれで大変で余命を聞かされたような気分になった。 電話では明るく冗談も言っているけれど、一人になると色々考えてしまうらしい。 遠く離れていると、そういう細かいところをマメにフォローしたくても出来ないところが辛い。 しかし、ガンセンターで父と同じ部屋だったHさんもきっと同じように不安を抱えているのだろうと、改めて感じた。だから、癌の薬の事で相談があるといい私に電話をしてきただけで 本当は不安な気持ちを誰かに聞いて欲しかったのだろう

6月 3日
明日父と最後に行った川に行く。 恭平も連れて行く。 楽しみなような、悲しいような。でも、父がいつも釣りをしていた場所を知り 父の釣りの姿を見れたのだから、いい思い出だと思う。

6月 2日
ガンセンターで一緒だったHさんから電話を頂いた。腎臓が弱っているとの事で、不安そうだった。私にその不安な気持ちを聞いて欲しかったようで、大したアドバイスはしていないけれど、聞いてもらえた事で安心をしたようだった。 今の主治医は私も知っている先生だけど、信頼してお任せして、早く元気になって下さいと言ったら「僕もこの先生なら任せられると思っている。そうだな、安心していいな」と言った。 お一人で暮らしているせいか、前から遊びに来て欲しいと言われていた。しかし、中々行くことが出来なかったけれど、話をすることで気が紛れるのであれば、是非会いに行きたいと思う。 絵を描いているので絵も見せたいという。私に絵心は無いけれど、見たいと思った。 父がとても楽しく会話をしていた事を思い出す。そして父が楽しく病院生活を送れたのも、この方のおかげだと前から思っていた。少しでも恩返しをしたいと思う。
今日、父の同級生からおはがきを頂いた。1年前の今日、父がこの方に会いに行ったとはがきには書いてあった。そして元気に「歩いて帰るから」と言い歩き出した父の背中を、友人二人と見送ったという。 父はいないけれど、父の残したものが沢山ある。父の友人、その気持ち。これらは私が立ち直ることを助けてくれた。そしてこれからもこれらは私を支えるだろう。 叔父からは連絡が無いけれど、連絡をしてこない人だと私は知っている。そんな叔父も父が大切にしていた兄弟だから、父が出来なかった分まで叔父を支えようと、思った

6月 1日
最後に行った川に土曜日に行く。最後に一緒だった釣り仲間も一緒だ。
父と行った川。釣りをした父。魚を釣った父。あのときの父はたった1年前。
1年という月日は長いようで短い。でも変化は大きかった。あの時一緒だった恭平もいない。いつも私と一緒だった恭平は、水が嫌いでも一生懸命私の後をついて歩いてきた。あのときの恭平は本当に楽しそうだった。
振り返ると短かった1年も、あの頃はとても長く感じていた気がする。
今より一日一日を大切にしていたとも思う。

その他記事は『カテゴリー/flower』 

「父」 参考書籍」 グリーフ・ケア」 情報(cancer)」 他」 

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