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もっと沢山、恭平とその家族についてお話をする予定でいたけれど、それより先に今の恭平のことに関して話をしたい。

1年半程前、恭平の具合が悪くなり動物病院へ連れて行った。尿に出血が混じっていて、それと同時に前立腺もはれているという。薬を処方され、体調は良くなった。 その後は元気な恭平に戻った。

そして、2002.12 父が病に倒れ、看病に追われている中、恭平も同じくして病に倒れた。前と同じで尿に血が混じり、前立腺が腫れた。尿の出も悪かった。動物病院で前立腺に腫瘍を認めるので、癌を疑った方が言いと言われた。しかし、陽性か陰性かを調べるために細胞検査をしなくてはならない。そして癌と判ってもここでは治療が出来ないほど前立腺に手術は危険であると説明をされた。手術が出来ない場合、当然抗がん剤治療となる。しかし父の抗がん剤治療を受ける姿を見ていると恭平にまでそんなつらい治療を受けさせる事は私には耐えられなかったし。細胞検査だけでもかなりの出血を伴うという事だったが、父の看病のことを考えると、手術をしても恭平の世話を出来ない。ちょうど父の検査も入っていて、それが済まないと落ち着けないので、恭平の検査を先送りにした。しかし、正直言ってこのとき一番私の心を支配したのは「恭平が癌になるはずはない」だった。元気で食欲もあり、それなのに癌だとは思いたくなかったし、細胞の検査をして癌だと判っても抗がん剤治療を受けさせる勇気は私にはなかった。

私が少し落ち着いて恭平の看病が出来るようになるまで、獣医師の薦めで健康食品を飲ませて様子を見ることにした。
最初の2週間でかなり明らかな腫瘍の縮小を認めた。このまま小さくなれば、検査をしなくても様子を見てもいいだろうという、獣医師の判断で、健康食品を続け経過を見守った。3週間ほど縮小も肥大もせず停滞した時期があったが、私の触診でもかなり小さくなって来たのが判った。毎週動物病院へは通っていたが、獣医師が驚くほど小さくなり、殆ど腫瘍を認めないほどになった。獣医師は驚き、私は喜び、そして安心をしする事ができた。やはり恭平は癌ではない。癌のはずはない。そんな気持ちは益々大きくなり、これで恭平も又元気に走り回ることが出来る。

しかし、時々おトイレではないところで、おしっこをするように。今まではそんな失敗はした事がないし、不思議に思った。しかしジュディーやさくらと同じおトイレを使うことにもともと抵抗を感じていたのは知っていたし、私が父の方ばかりをむいているのを気に入らないのかと、そう私自身を納得させるようにした。この頃はちょうど父が痛みで苦しんでガンセンターへ足を運び、日々が父の看病に追われる日々で、恭平と同じくジュディーやさくらも、車で公園へ行く事も我慢してもらっていた。夜には、ジュディーとさくらは父の布団の中へもぐりこんで父にべったりだったが、恭平だけは私と一緒にいた。そのため父の点滴を済ますと、少し時間に余裕が出来るので、恭平だけ夜のお散歩へ連れて行っていた。いつもは必ずジュディーやさくらが一緒なのか、私と二人でのお散歩をするときの恭平の様子はとても嬉しそうで、のんびり散歩を楽しみ、私と二人だけの時間をとても満足そうにしているのが私にはよく判った。帰ってきてもソファで恭平だけを抱きしめ「ごめんね、忙しくて中々恭平との時間が無いね」と少ししか恭平との時間が取れない事を謝った。
安定してきた恭平の容態に私は安心し、父の看病に集中していたもの事実で、その後の少しの恭平の変化も見逃してしまった。

腫瘍が殆ど消えて喜んでいたものの、その1週間後、さらに疑問は広がる。雨の日に外でおしっこをしたからだ。恭平は水が大嫌いで1滴でも頭に水がかかると、今にも発狂しそうになる。なのに、急にどうしたのか? そして家の中でおしっこを失敗しても案外反省の色は見られない。これも疑問の一つだった。家の中で失敗はするし、かと思えば雨に濡れてまでおしっこをする。しかし、おしっこの失敗だけなではなく血の混じった尿をしたために疑問は病気への疑いとなり慌てて動物病院へ。

尿道結石と、膀胱炎を併発していると診断され、動物病院で尿を押し出してもらい、薬をもませると言う治療方法となった。毎日から1日おきに動物病院に通い、尿を押し出してもらうのだが、おしっこの失敗はその後も、段々と回数は増え、とうとうリビングでするようになった。しかし、恭平は悪そうな顔をしない。よく観察すると、便も出が悪い。一体、どういうことなのだろう?

動物病院では「転移をしていたのかも」と言われた。確かに脊椎の直ぐ横に大きな塊を見つけた。それはちょうど尿道を真上に行った部分に当たる。どちらにしろ抗がん剤治療を始める時期だと言われた。どうしようか迷っていたある日恭平の様子がどこかおかしい。ぐったりしているし、元気がない。今までは、元気がなくても散歩へは行きたがったし、庭に出て日向ぼっこもしていた。母はそんなに様子は変ではないというが、私は恭平が何かを私に訴えているのを感じていた。目をチェックすると充血をしている。やはり病院へ行こう。そして途中まで動物病院へ車で走ると、もう診察の時間が終わっているのに気がついた。そこで急患でも診てもらえると聞いたS動物病院へ連れて行った。
しかし、そこは診察時間が19:00まですでに電気は消えていた。私は立ちすくんだ。恭平をどうしたらいいのだろう。このままにしておくわけにはいかない。しかしこんな時間に診てくれる動物病院を知らない。呆然としていると、中からワンちゃんを連れた女性が出てきて、「どうされましたか?」と聞いてきた。動物病院の駐車場に車を止めている私を不審者と思ったのだと思う。私はその時に何を説明し何をしゃべったのか覚えがない。しかし、「ちょっと待ってください」と言われ病院の明かりが点いた時には「恭平は助かった」と思った。どうしてそんな大げさな事を思ったのかは判らない。しかし、S度言う物病院は途方にくれる私と、ぐったりした恭平を丁寧な診察と温かい気持ちで包んで治療してくれた。

診察の結果、「癌の全身転移を認める。前立腺、肺、脊椎の横のしこりも腫瘍であるだろう」と言われた。私は泣いたのは覚えている。そして「今から治療をするのは、全身の状態からするといい結果が出ない」らしきことを言われ、私はもうこのまま恭平にお迎えが来てしまうと、相当のショックを受けた。しかし「今のぐったりしている状態は尿の出が悪いために尿毒症になりかかっている。尿毒症の治療をすると少し元気が出ますし、おしっこを自力で出来るようになると今すぐどうこうと言う状態ではない」との事で、翌日から尿毒症の治療の為に日帰り入院をする事になった。家に帰るとすでに10時を過ぎていたと思う。しかし、私が「助かった」と思ったのは間違いでは無く、私の何処からとも無く来る勘だったと思う。もう一晩適切な処置をしていなかったら、もっと容態は悪くなっていたし、悲しい結果になっていたかもしれない。それを思うと、このときに病院からでてこられた女性にはどうやって感謝したら言いのだろう?そして遅くまで丁寧に診察検査をしてくれた先生にも感謝をしている。初めて行ったのに、こんなに温かい気持ちで診察をしてもらえると誰が想像しただろう?

その後、恭平は少しずつ元気を取り戻した。食欲もあるし、少しの散歩へも行きたいとせがむ。S動物病院で「全身転移」と言われたときには、過去を悔やんで自分を責めて、やり場の無い自分の気持ちに苦しんだ。そして、恭平に「頑張って、私を一人にしないで」と泣いてすがったこともある。大げさだが、私は恭平がいたから今があると思うことがある。何故そこまで思うのかは私にも不思議なのだが、でも本当にそう思う。恭平がいたから私がいるのに、恭平がいなくなったら私はつらくてならない、と。

恭平はS動物病院でお世話になって5日目、右後ろ足の動きが悪くなった。
日曜日の事、母と弟が父の病院へ行く事になっていた。病院の裏には公園があるのでジュディーとさくらも連れて行こうといった。そして右後ろ足が動きが悪くて散歩が出来ても出来なくても、一人にするよりは連れて行ったほうがいいので、結局3人と3匹で散歩を兼ねて出かけた。恭平は公園の芝を見ると目をクリクリさせジュディーとさくらの間に入り歩いている。走っていってしまうジュディーとさくらと一緒になり暖かな日差しに溶け込んでいた。辛そうなら歩かせるのを止めようと思ったが、そんな心配は必要なかった。とても楽しそうで自分がしんどい事も忘れているような表情に私は励まされ、そして勇気をもらった。

しかし、その後はどんどん足の動きが悪くなり、散歩は無理な状態で、尿も膀胱の辺りを押してあげないと自力では出来ない。そのためS動物病院でカテーテルで尿を出してもらい、家では膀胱の辺りを押して排尿を手伝わなくてはならない。
その排尿のとき肺に転移した腫瘍のせいだろう、しんどそうで呼吸も少し速くなる。そんな恭平を抱きしめ「負けないで、お願いだからこんな事で負けないで。恭平は強い子だもの。恭平が辛いと私も辛いのよ」と泣いた。呼吸の荒かった恭平は、急にじっとして私を見ている。瞬きもせず私を見ている。しまった。
恭平は十分頑張っている。父の時には「頑張って」と言ってはいけないと思いながら、恭平には父にも表さなかった自分の弱さをぶつけた。恭平なら私の思いに答えて頑張ってくれるとそんな甘えもあった。それに気がついた時S動物病院の先生も「恭平君は頑張ってます。ほんとうに頑張ってます。あまり飼い主さんがつらいとその気が移ってわんちゃんが辛くなるということがあります。自分の身を削ってまで頑張って生きようとしてしまうものです」と言われた。飼い主の気持ちに一生懸命に答えようとするあまりに、自分の力以上に頑張るとしたら、犬はとてもつらいということになる。それは、恭平は私を一人にしてはいけないなと頑張り続けているということで、私の独りよがりな気持ちが恭平を苦しめていることになる。考えさせられた。恭平の寝ている顔を見て、このこのためにどうしたらいいのかを考えた。
今までは頭に浮かぶのは子供の頃のやんちゃや、公園を走り回る姿で、今こうして病に倒れてぐったりしている恭平の姿を認めたくないし、治療をすれば癌を持ちながらももう一度散歩へ行けるのではという期待だけだったのが、なんとなく変わってきた。私の気持ちだけが恭平の変化から取り残されている。12歳と言う年齢は、いつ病気になっても不思議ではない年齢だが、いつも私は「恭平は強いから」と長生きする恭平の姿しか思い浮かべてこなかった。本来なら、きちんと健康を管理し老犬となった恭平をいたわって陽だまりでお昼ね、というのが本当だろう。

その夜、恭平に「私は今は恭平がいなくなったら悲しくて仕方ないけれど、でも大丈夫になるようにするから恭平も私の事を心配したり気にして、頑張りすぎたらダメだよ」と話をした。そして毎晩恭平に語りかけた。恭平が理解をしたのかは判らないが。

私はずっと自分が悲しいから恭平に頑張って欲しいと願ってきた。しかし、それは私の身勝手だと悟った。それより、恭平に今大切な事、必要な事をして、少しでも恭平が苦しみから解放されるように手助けをする事が大切だ。まだ「恭平がいなくても私は平気」といまでは私の気持ちは切り替わっていない。しかし、「よく頑張ったね」と言えることは出来るようになった。過去を振り返り「恭平がいたから私がいた。そんな恭平に感謝しなくては」と思う。

恭平の状態は悪化をたどり、とうとう食事を受け付けなくなった。大好きなチーズも牛乳も匂いを嗅ぐだけで横を向く。それでも抗生剤は飲ませなくてはならない。あれだけ食欲が旺盛だった子なのに今では強制的に抗生剤を口に入れている。少しの望みでもあるならと、何種類も高カロリーのドッグ・フードを買い、食べたがるのかを試した。しかし、空しい努力となり全て拒否。食べる事を嫌がる恭平に無理に食べさせる行為はかえって負担になる。抗生剤を飲ませる時に食事の変わりに粉ミルクを口に入れるようにした。そして夜中になると呼吸がかなり速くなり、脈も多い。転移した肺の癌が暴れているのだろうか?

10月14日。食事を受け付けなくなってから3日目、嘔吐。血液が混じっているのを確認。そして、10月11日に食べた物が消化されずに出たのを見て、呆然とする。食欲が無いはずだ。そしてその嘔吐の後、呼吸は少し落ち着いた。胃のむかつきから来る呼吸困難だったのだろうか?その後もそれほど呼吸が荒くなる事は無い。

S動物病院では粉ミルクを飲ませるようにとサンプルの粉ミルクをくれた。口から流しいれたのだが、翌日も嘔吐。やはり血も混じっている。今は何も胃に入れないほうがいいと思った。
家で私が排尿を手伝う事にも限界が来た。恭平は立った姿勢をキープする事が困難となる。起こしても頭はグラグラと不安定になり、何とか排尿をしてもかなり呼吸が荒くなる。少しすると呼吸は戻るのだが、これだけ排尿が苦しいとなると、毎日カテーテルで排尿をした方が恭平にとっては負担が少ないだろうと思い、毎日排尿の為に動物病院へ。排尿後の恭平はとても満足そうな表情で家に戻るとぐっすり眠る。

この日は夕方父の主治医から病状と、この先の治療について話があった。内容は絶望的な印象を受けるもので、父もショックのあまり、トイレに起き上がることが困難になった。
父の病院から帰ったとき、恭平はベッドの上にいない。どうやら自分で移動をしベッドから少し離れたところで寝ていた。「どうしたの?なんでこんなところまで来たの?」と抱きかかえるとそこには便がしてあった。恭平と便の位置は起き上がり排便をする事は困難だと証明した。その後も3回ほど必ず私がいないときに排便がしてある。片付けると必ず私を見て悪そうな顔をする。私はそんな恭平につとめて明るく接した。
印象的なのが病院に行くとき「さあ、病院へ行こうね。外はとても気持ちのいい天気だよ、散歩したいぐらいだね?」と声をかけながら出かけるのだが、恭平はその私の言葉に目をクリクリさせまぶしそうにする。そして外の匂いを嗅ぎながら明るい表情になる。
10月15日。私の親友が恭平に会いに来た。前から決まっていて恭平には「Aちゃんが会いに来るからね」と伝えてあった。恭平は私の親友Aちゃんが大好きである。誰よりも好きで、私がやきもちを焼くほど好きなようだ。そしてAちゃんの顔を見て尻尾を振った。目をクリクリさせ喜んでいる。が、起き上がって歓迎することはなかった。ただAちゃんも恭平を励ましてくれたし、恭平も満足そうにしていたので私はとても嬉しくなった。
この日病院に連れて行っても外の景色に反応はしない。私に抱かれても完全に身をゆだねまぶしそうな表情をする事以外は、出かけることに反応を示さなくなった感じがする。そして病院で排尿をしても今まで程喜んだ態度ではなくなった。この先毎日動物病院に通う体力を考えると、かわいそうになる。

父は朝電話をかけてきて、母を病院に呼んだ。寂しくて仕方がないから、一緒にいて欲しいらしい。そんな父と恭平の姿はだぶって私を辛い気持ちにさせてしまう。恭平は言葉には出さないが、弱っていく自分を寂しいに違いない。一人でいることを怖いと思っているに違いない。父の「寂しい」と言う言葉は恭平の言葉をも代弁しているようで恭平を抱きしめた。「ここにいる。一緒にいる。一人にはさせない。恭平、ずっと一緒だからね」と抱きしめた。恭平の呼吸は落ち着き、私の目を見て、そしてうとうとと眠る。

10月16日。昼間に急に呼吸が荒くなり、辛そう。が抱きしめて擦りながら「辛いよね。私にはどうする事も出来なくて、ほんとにごめんね。でもずっと一緒にいるから」と言った。少し楽になったようで目を閉じて眠った。
父はこの日家に帰りたいと言った。しかし恭平のことを隠していたが、本当のことを話すと「帰りたくない。ここで我慢する。しっかり恭平を看てやってくれ」といった。

夜中苦しかったようで、一晩中お腹をさすったり、排尿を手伝ったりしていたが気づいたら朝になっていた。

今の恭平は父のことを遠慮をせず、私に思い切り甘える事が出来る。だから恭平にもそう思ってもらいたい。今まで父のことで忙しい私に遠慮もしてきただろうし、辛い事も我慢してきただろう。しかしその思いは後悔へもつながる。もっと上手に父の看病をしていたらこんなことにならなかったのか?と思ってしまう。急に恭平の容態が変化したのも、父が入院をすると決まってからだった。偶然なのだろうが、その偶然は私の後悔という気持ちを増幅させる。

10月17日。今まで行っていたB動物病院へ排尿をしに行く。しばらくこの病院へは行っていなかったけれど、診察をすると「ここ数日と思ったほうがいい」と言われた。私は判っているとは思うけれど覚悟を決めた方がいいと言うことだ。S動物病院では「数ヶ月と言うことは無くて、数週間の単位です」といわれたので、寝たきりの姿でも恭平の姿を自分の横に置き、一緒に眠り、擦り、抱きしめ恭平を感じる事がもう少し出来ると思っていた私は、言葉に出来ない気持ちになった。
しかしB動物病院の先生には感謝しなくてはいけない。そういわれたお陰でこれからの数日間はとても中身が濃くて、今まで以上に恭平を抱きしめる事が出来るだろう。ずっと恭平の前間では涙を我慢していたが、今日から恭平の間でも思い切り泣こう。
いつものように恭平を抱いて擦って「もう、こんなに頑張ったんだから無理をしないで。我慢しないで。楽になってもいいよ。私の為に我慢をしなければと思っているなら、私は大丈夫」と言った。体温を測ると以外にも高い。体温が下がってくると危険だとは判っていた。いや、そうではない。恭平はまだ生きる希望を失いたくないのだ。
恭平にも「ごめんね。恭平を助ける事が出来なかった。私も恭平もまだ一緒にいたいよね?ほんとうに無念だよね」と泣き崩れた。恭平はそんな私の腕の中で穏やかな目をしている。



10月20日。今恭平は私の側にいる。姿を変えて私の側にいる。

10月18日 午前5時、恭平は私の腕の中で天使になった。その瞬間「恭平、恭平」と呼んだ。返事をしたようだった。もう一度「恭平」と叫んだが返事をしたようだった。しかしそれ以上「恭平」と呼ぶことは出来なかった。私は呆然とし、心が凍り、涙を流す事も出来なかった。時は止まった気がした。それを我に返してくれたのが、ジュディーとさくらだった。変化に気がついた2匹は私をつついた。「あ」と思った。もう一度恭平を見ると、静かに眠っている。呼吸が楽になったのだろうか?擦ってあげると心臓の音はしなかった。
その後、何をどんな順番でしたのかは記憶に無い。しかし、恭平はリビングでお線香とろうそくをたててもらっていた。と言うのは自分でそこまでした記憶が無い。母は15日以来父の病院に付き添っている。家にいるのは私とジュディーとさくらだけ。弟に連絡をしたら、恭平を見に来てくれた。母にも連絡をした。母は慌てて帰ってきた。
お葬式の予約を取って、その時間まで恭平の横にいた。葬儀の予定は15時だった。弟は仕事があったのだが、帰ってきて動物霊園まで送ってくれた。

その時間まで、いつものように恭平と一緒に横になっていた。恭平を擦っているとその時、恭平の息がかかった気がした。それは2回。スーッ、スーッという感じであった。ただそんな気がしただけで、事実であるはずが無いがしかし、恭平は辛かったけれど、今は楽になったよ、と言っているのだと思いたい。

そして動物霊園へ。しかし、ここで恭平を火葬してくれる方にとても失礼だが、この人とは違う。と感じてしまった。恭平も後ろから「ここじゃない」と言っているような気がした。何故か?判らない。しかし、ここをキャンセルして、もう1箇所あるメモリアル・ホールへ連絡した。するとお葬式は明日になるけれど、霊安室があるから来てください」と言ってくれた。直ぐにそちらへ向かった。すると安心した。ここなら恭平も満足してくれる、そんな感じがしたのだ。動物霊園の何がいけなくて、メモリアル・ホールの何が良かったのか?このときには私自身、理解が出来なかった。

そして、10月19日。お葬式。お骨を拾う事も出来るがどうするかと言われたが、その姿を見ることは出来そうに無い。明日、最期の姿をもう一度見せてもらって、その後は姿を変えた恭平を迎えに来る事にした。メモリアル・ホールの受付の女性も「止めておいた方がいいですよ。とても辛い姿ですから」と言った。

最期のお別れをする時、私は泣き叫び「許して」と叫んだ。供養に来られていた方が私の姿を見て心配になるほどであったらしい。私には泣いても泣いても枯れない涙と、あふれる色々な思いが自分を支配し苦しかった。今まででこんな苦しい気持ちを経験したことがあるのだろうか?恭平が骨になるなんて考えられない。このまま連れて帰ろうとも思った。そんな思いを断ち切って霊安室を出るときには歩くことが困難だった。
しかしジュディーとさくらが一緒で、泣いている私をジュディーが舐めて慰めてくれる。頑張らなくては。恭平が大好きだったジュディーのため、恭平が残した瓜二つのさくらのため。。。。

姿を変えたのは15時だった。姿を変えた恭平を迎えにいった。大きな仏壇の前に置かれた小さくなった恭平。そこでメモリアル・ホールの女性と色々話をした。すると「愛犬とつながっていると感じる方は多いけれど、でも今までであなたが一番です」と言ってくれた。この女性は滝にうたれる修行をされた方で、私たちには感じない何かを感じるという。恭平の顔を見て私とつながりがとても深かったと感じこの方も辛くなるほどの強いお互いの愛情を感じたという。そして今、恭平が天使になったのも意味があることだと教えてくれた。なにより、恭平が姿を変えたけれど、そのために永遠に私の側にいる事が出来るからと言った言葉は大きく私を救った。「あなたの今の悲しみを抱えてこれから先を生きていくには辛すぎる。けれど私はあなたのその苦しみを受けて少しでも軽くする役目です。ですから今日、恭平を連れて変えると今までよりは少し気持ちが楽になっているはずです」と言ってくれた。

家に恭平を連れて変えると、どこか安心のような気持ちが出てきたのに気がついた。姿は変わったけれど恭平は永遠である。あの時、動物霊園をキャンセルして、メモリアル・ホールへ導いてくれたのは恭平だったと信じたい。この女性の口を借りて恭平は私に「頑張って生きて。いつも一緒だからね」と伝えたかったのだろう。

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